先日観た「橋の下世界音楽祭」のドキュメント番組の事をずっと反芻している。
色んな事が自分と重なり、そして僕にまだ足りないものをたくさん垣間見れた気がしている。
僕の役割はもちろんのこと「君たちを」「僕たちを」「繋げる」ことだ。
そしてそこには「必ず新しい世界がある」と「言い続ける」ことだ。
僕が繋げたものは自分で言うのもなんだが、なかなかのものだ。こんな繋げ方を他の人間は多分できない。そしてそれはもっともっといびつで面白い形で大きくなっていく。
僕がザ・シックスブリッツというバンドをフラフラと(決して音楽家として誇れるものではなかった)活動の中で
目移りし、迷い、流され、色んな場所に行ってきた。
色んな場所と言っても同じ海岸線を漂い続けるビニール袋みたいなもので広い世界を見てきた訳ではない。
でも同じ所を沈まずに、長い時間をかけて回遊し続けることで、僕は色んな世界を持つ人に出会った。同じ場所にいると人の違いがよく分かる。
彼らの世界を繋げるのが僕の役割だ。
そして僕はどうしてもその役割と自分の音楽を別のモノとして考えようとする。
これが一番の元凶。僕が僕を一番嫌いなところだ。
この役割はザ・シックスブリッツというものがなければ成り立たないものだったというのに。
さて今一度僕は心を立て直す。
新しい曲を作る。できた。
そして、それは僕の回りの事、街のことを歌わなければいけない。
阪急オアシス、嵐電、警察署、歩く、眠れない、アイリッシュパブ、そんな日々の中に埋もれてしまった感情を掘り起こす。
演奏をする時にはメンバーとその場その場に眠る熱狂の可能性を探り続ける深海のような演奏をする。
そして、僕は演奏をしに出かけた、行く先々の街の事を歌わなければいけない。
東京のだいじゅ、みったん、茨城のDJ、北海道の寒い大地の女の子、ネットカフェ、深夜バス、街並み、
僕は彼らに最大限の敬意を払わなければいけない。
そしてその一つ一つの音楽家としての在り方は完璧に人と繋がる行為と同調している。
問題ない。このまま続けていこう。
よし、やるぞ。
そしてそれと同じように僕は来年の「いつまでも世界は...」のことを考える。
それは僕の、音楽以外のアプローチがたくさん詰まった最大限の音楽活動である。
僕はお店を始めることにした。
僕のような「繋げる」役目の人間が家に篭って音楽を作り続けるべきではないと思ったから。
「西島に話があるならここに行けば会えるぞ」そんな場所が必要だと思ったから。
どんなお店になるかはまた詳しく決まったらお伝えします。
ひとまず今日は僕の心の安定の為にお付き合いくださりありがとう。
本日京都MUSE
6/20新宿ロックンロール意外は全部嘘
6/21吉祥寺シルバーエレファント
待ってるよ。