「人には歴史があるけれど 僕達生まれたばっかりだ」
とは僕の大好きな曲の一節ではありますが、
本当に感情が高ぶった瞬間でなければ、この歌を歌うことができなくなってしまった僕達。
終わることのない、灰色の青春を生きる僕達。
「いつまでも世界は...」が今年も無事に終わりました。
今年の空気はとても素晴らしいものでした。
死ぬ時に何かを自慢して死ぬとしたら、今年の「いつまでも世界は...」を僕は今の所自慢します。
何かを成し遂げた訳でもなく、何かを変えられた訳でもありません。
ただただあの日を作る為に集まった人間、楽しむ為に集まった人間の満足そうな顔を思い出すだけで僕は笑顔で死ねる。
本当に、穏やかに、そう思っています。
そして、それにとてつもなく危機感を覚えます。
未だ成し遂げず。未だ変化せず。
その道半ばにとても居心地の良い瞬間を見つけてしまった僕はちゃんとここから歩き出せるんだろうか。
正確に言うと、もう歩き出してはいる。
でも。
とても散漫に、感情の赴くままに、自由過ぎる感じで歩いている。
激情でもって、何かに抗って歩くこれまでとは明らかに違う。
力の抜けた歩きだ。そしてきっと本当はとても良いことだ。
でもそれが怖い。
自分がそんな仙人のような歩みをするなんてとてもじゃないが信じられない。
自分が自分でないような感覚。
明らかに進んでいるのに、どうにも信用できない感覚。
僕は生まれたばっかりだったのに、いつの間にかそうでは無くなっているのを本当に痛感しながら最近生きている。
有り体に言えば、「歳をとった」。
老けた、とか体力が落ちた、とか僕はロックンローラーなのでそんなことはないのですが、
物事を捉える感覚がいつの間にか大人になっている。
ずっと大人になりたいと思っていたし、自分のことは大人だと思っているんだけれども、
いつの間にか本当に大人になっていた、この感覚に戸惑っている。
そしてその大人の感覚がこれから、これまでやってきたことに、どういう影響を与えるのか本当に怖い。
昨日まで信じていた事が信じられなくなるのは別に珍しいことじゃない。
でも昨日まで許せていたことが許せなくなるのが怖い。
自由に、穏やかに歩く中に、「怒り」や負の感情が入り込んできて、今とても散漫だ。
何度も言うが、これは本当に良いことだ。ただやはり怖い。
大人になる、ということは僕の中では「怒り」を覚えるということだ。
そしてそれに向き合い昇華して前に進むのか、石のように頑なになるのか選ばなくてはいけない。
若者達は「激情」という言葉の中に「怒り」というものさえもまぜこぜにしているから、その選択肢がない。
ただただ激しい川のように流れていく。そこに方向性は必要ない。
これから僕はその選択肢を間違えないように選ばなくてはいけない。
ややこしい世代に差し掛かってしまった。
僕はもう既に「怒り」というものに意識的になってしまっている。
そこに負の感情が紛れ込まないように、
そのせいで歩みを止めてしまわないように。
「生まれたばっかり」ではなくなってしまった僕達へ。
明日、明後日、一ヶ月後、一年後、五年後、百年後、
「怒り」という感情で前に進める術を後世に書き記していこう。